三遊亭円歌の死因は?入院先の病院や過去の作品についても
落語会の重鎮三遊亭円歌さんがお亡くなりになられました。
私は落語に詳しい訳ではありませんが、日本を代表する落語家が亡くなられるという事はとても残念です。
そんな三遊亭円歌の死因や過去の作品、ネットでの反応について書いていきたいと思います。
死因は?
死因については「多臓器不全」という事で、ご高齢が故に色々な所が悪くなっていったのでしょう。
一般では老衰とも言われていますね。
今年に入ってからお仕事をお休みされることも多々あり、入退院を繰り返していたようです。
高座が終わってからは、支えられながらやっと舞台袖に降り、「声がよく出ない」とも漏らしていたと言います。
23日のお昼頃に体調が悪くなり都内の病院に搬送され、そのままお亡くなりになられたようです。
入院作の病院は?
病院については詳しく書かれていませんでした。
「都内の病院」という事しかわかりませんが、分かり次第追記していきたいと思います。
作品
「授業中(山のあな)」「浪曲社長」「月給日」「電報違い」「我孫子宿」「中沢家の人々」「天皇陛下、初めて落語を聴く」「円歌の道標」など。
古典では、「替わり目」「坊主の遊び」「西行」「三味線栗毛」「紺田屋」「品川心中」「宮戸川」「湯屋番」など。
プロフィール
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170424-00000004-mai-soci.view-000
名前:三遊亭円歌(さんゆうてい・えんか)
本名:中沢円法(なかざわ・えんぽう)
生年月日:1929年(昭4)1月10日
出身地:東京都墨田区
45年に2代目三遊亭円歌に入門、前座名は歌治。
48年に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴と名乗る。
58年に真打ち昇進。
70年に3代目三遊亭円歌を襲名した。
71年、「三味線栗毛」で文化庁芸術祭優秀賞受賞。
85年に得度し、法名は本遊院円法日信。
92年浅草芸能大賞受賞。
落語協会では87年に副会長、96年に会長就任、06年から最高顧問を務めていた。
ネットでの反応
三遊亭円歌さんが88歳でお亡くなりになりました。「山のあな、あな、」の落語のタイトルは「授業中」先生と小学生の面白話で新作落語が人気で、テレビで見ました。寄席からの中継は笑点が長寿番組ですが、生中継が昔は多かったようです。
— miekojan (@mietaros119) 2017年4月23日
また昭和のスターが1人いなくなってしまいました。
三遊亭円歌さん死去
— february9 (@Feb9love) 2017年4月23日
幼稚園の時、生まれてはじめて生でみた落語家さんだった・・・
合掌・お疲れ様でした!!
三遊亭円歌が亡くなりましたね。
— きた★しょうこ@金星人+@31歳 (@cafe_with_syoko) 2017年4月23日
お悔やみ申し上げます。
桂歌丸も長くないような。
まとめ
・三遊亭円歌さんの死因は「多臓器不全」といういわゆる老衰。今年に入り入退院を繰り返していた
・入院先の病院は不明
心よりご冥福をお祈りいたします。